遠く埼玉 羽生の地で受けた教えを想う

十束英志

昨年の8月8日、13年先輩の昭和52年卒、弘前大学医学部第二外科 遠藤正章先生が他界されました。教室で一緒に仕事をした思い出が頭の中を駆け巡り、同時に「お礼を言い損ねた」と言う後悔の念が浮かんで来ました。いつでも同門会である三葉会総会に出席すればお会いできる、「いつぞやは(ご教示いただき)ありがとうございました」と簡単に昔話を持ちかけることはできると思っていました。その教えとは医局にいた時のことではありません。遠く関東の地に来てから受けたものでありました。大学を出てから4年余りの間にあったエピソードを振り返り、遠藤先生から受けたご指導に、感謝の気持ちを持って触れてまいります。

関東の民間病院へ出て遭遇した落とし穴で

平成2年卒、医局を後にして埼玉県の北の端、羽生総合病院へ赴任したのは平成16年の10月、外科医生活15年目の秋でありました。そこは周辺に大きな病院がない医療過疎地域であり、消化管は元よりあまり一般の市中病院では行わない肝臓や膵臓の手術症例にも恵まれました。
順調に1年ほどが経ち7例目の膵頭十二指腸切除術を目論んで臨んだ手術に落とし穴が待っておりました。下部胆管癌で閉塞性黄疸の症例、型の如く経皮経肝胆道ドレナージで減黄したところで手術に臨みました。肝転移、腹膜播種が無いことを確認して、Kocher受動術を始めたところで肝十二指腸間膜の妙な牽引と硬さを感じました。手順を変えて先に胆管の剥離に行ったところ、著しいリンパ節転移が認められ門脈と肝動脈を巻き込んでおりました。

テーピングを施した門脈と胆管はなんとか剥離遊離することができましたが、肝動脈は胆管腫瘍とそれに連続するリンパ節とが一塊になって岩の様に硬く、そこへの操作は困難を極めました。門脈と違って動脈を切って繋ぐのは自信がありません。腫大したリンパ節転移をそのままにして膵頭十二指腸切除術を完遂することも考えましたが、局所再発は確実であり、手術侵襲と合わせて考えるとあまり生命予後に有効な手段とは思えませんでした。肝動脈周囲に2時間近くを費やしながらの思案の末、胃空腸バイパスを行い、胆管チューブは術後に狭窄部を越えて内瘻化としてメタリックステントを留置する、切除術から撤退する方針としました。

手術方針の転換ですので説明が必要です。手を下ろして面談室にご家族をお呼びしました。術中所見を話して、完全な切除は不可能であること、腫瘍を残して切除術を断行しても早期再発は必至であるため、バイパス術と胆道ステントで侵襲の少ないかたちで早期退院と化学療法の方針をお話ししました。奥様と長女、長男の3人は概ね理解してくれましたが、最後に、20代前半の長女の人が涙ながらに尋ねて来ました。「それは、失礼を承知で申し上げますが、大学病院でもがんセンターでも同じなんでしょうか?」との質問に、「ええ、どこへ行っても同じ判断になったと思います」とお答えしました。

患者の術後経過は良好で、胆道ステントを留置して、体内に入った管が全て抜けたところで元気に退院しました。入院中も退院してからも親しく話をする機会があって、プロ野球の大洋〜横浜のファンであることを話すと、同僚の仲間たちを介して横浜ベイスターズ、石井琢朗選手の後援会に誘ってくれました。でも、心の中では切除不能に終わった後ろめたさと、長女の方の食い入るような目が常に思い返されました。教室の佐々木睦男教授だったら「とつかくん、まあ、無理しないでよかったかもわからんよ」と慰めてくれたのではないか、袴田健一先生は「それは難しいんじゃないかな〜」と親身になって言ってくれるのでは、と自分に都合の良い妄想を持ちました。「そうですよね」などと同意を求めるような相槌を独り言で言ったりもしました。

半年くらい経った4月のある日、都内の小さな研究会で、青森市民病院に行かれていた懐かしい遠藤先生にお会いしました。昼休み、春の日差しに誘われ外に出て、切除不能に終わった胆管癌症例のことを打ち明けました。苦しい感情を誰かに話すのは初めてでしたし、心のどこかに教室で苦楽を共にした先輩に同意を求める気持ちがありました。ところが、遠藤先生は「とつか〜、そりゃあ、なんとしてもむしり取るんだよ!、患者家族にお土産を持って帰るんだ!」と仰いました。返す言葉がありませんでした。自分で勝手に考えたところの佐々木教授、袴田先生らのご意見とは全く異なるお言葉でありました。とても意外でありました。でも、ふと我に返ったところで、先生から強い叱責をいただき、十束の弘前からは遠く離れた関東圏での生き方を教わったものと理解しました。大学病院で切除不能と判断するのと、民間病院とでは患者家族の受ける感覚が全然違います。ある意味、大学より厳しいところで外科をやっている、そこの部分を遠藤先生から厳しく指導いただいたのでした。それからと言うもの、高度進行癌であっても、なんとしても切除する、そんな気概を持ちました。それ以上に、術前の画像を見る目が厳しさを増しました。当たり前のことですが、切除不能の可能性はないか、どうやったら「むしり取るか!?」そこに焦点を置きました。遠藤先生のおかげで外科医人生が変わったように思われました。

胆道拡張症の手術で

関東圏に根を張って、順調な外科医生活を始めておりましたが、密かに恐れている疾患がありました。よくある悪性腫瘍ではありません。むしろ良性疾患であり、それは膵胆管合流異常に伴う病態でありました。執刀経験はありませんし、手術に入ったことすら数えるほどもありません。悪性疾患であれば術後の化学療法とその後の長期の経過観察で見届けられますが、良性疾患では短期で通院不要となるべきであり、以後の合併症に悩まされるのは避けたいところです。大学にいた何かの折に膵胆管合流異常研究会に参加して、胆道拡張症は、以前は術後の残存胆管の悪性腫瘍の発生が問題であったが、現在は肝管空腸吻合部の狭窄とそれに伴う肝内結石が問題であると聞きました。拡張した胆管を切除して十二指腸側は閉鎖、左右肝管とRoux-en-Yで挙上した空腸とを吻合する、一言で言えば「肝外胆管切除術」であり、理論的にはそれほど難しい手術とは思いませんが、残存胆管の発癌や、慢性炎症を来した肝管と空腸の吻合部の狭窄のリスクを考えると、何か手術のコツみたいなものがあるように思われました。

「嫌だ、嫌だ」と思っていると引き寄せてしまうのか、胆道拡張症の患者が近隣の病院から紹介で来ました。35歳男性でした。日々、膵癌や胆管癌の手術をやっていて、まさか「胆道拡張症は経験ありません」としてどこかに紹介するわけには参りません。当時、平成16年卒で、後に弘前の第二外科に国内留学してもらい生体肝移植まで経験し、三葉会に入会もした松村知憲先生とコンビを組んでやっており、早速、胆道拡張症が来たことを彼に告げました。「はあ、そうですか」と言うだけでこちらの苦悩は分かっていないようでした。

胆道拡張症の手術、どうして勉強したものか?、弘前の医局に電話すれば何かヒントが得られるのだろうか?、短時間の会話では大したことは聞けないのでは?、なにか自信を持って手術に臨めるバックボーンが欲しい気持ちでありました。ふと思いついたのは、その昔、20年くらい前にその手術に入ったことがあり、その時の手術所見がどこかにあったような記憶が頭をよぎりました。弘前の医局の机にあった書類は段ボール10箱ほどで部屋の片隅と押し入れに詰め込んでいました。学位の研究から米国留学のものや、学会発表や論文だったり、肝移植の資料もありました。膨大な数の書類の中に手術所見の一団がありました。これはこれで大学病院から始まって白生会胃腸病院、市立秋田総合病院、そして大学に帰る大量のコピーの山で、リストは作っておりませんので全ての紙に目を通して探しました。見つけました。それは入局1年目の8月、肝胆グループでのものでした。執刀医は遠藤先生で、手術所見には細部に至るまで術野の肉眼所見と手術操作が記載されていました。何度も何度も熟読して、実際の手術に入った記憶は全くありませんが、手術所見を読めば読むほど術中所見が頭に浮かんで来て、自分が執刀している感覚になれました。松村先生にも事前にそのコピーを渡して認識を共有するよう促しました。

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いざ手術の当日を迎えました。開腹時、胆管は著しく腫大して壁肥厚が認められ、周囲組織、脈管との炎症性癒着が高度でありました。松村先生は驚いているようでしたが、遠藤先生の手術所見に記載された通りでしたので「こんなもんだよね」などと言って淡々と剥離を進めました。胆嚢管からチューブを挿入して胆汁を採取、アミラーゼ測定の検体を提出して、胆道造影を行いました。テーピングした胆管を牽引して下部胆管を切開、膵内胆管の内部を膵胆管合流部まで肉眼で観察しつつ周囲膵組織から剥離を進めました。合流部より7 mmの胆管を切離線と定め、そこに2-0バイクリル糸で刺通結紮を施して下部胆管を切離閉鎖、さらに2-0バイクリルによる結節縫合を4針追加しました。肝門部胆管の剥離と切離は容易でありましたが、ここでは胆管と空腸の吻合に際して極力胆管壁の縫い代を少なく取る工夫をいたしました。概ね通常の肝外胆管切除とは異なる術式に松村先生は戸惑っているようではありましたが、全てが遠藤先生の手術記録に基づく操作であり、大袈裟な言い方をすれば遠藤先生が乗り移って来て手術をやってくれているようなものでありました。己では全く経験がない手術なのに自信満々で進めることができました。

5時間ちょっとかかりましたが手術は上手く行きました。腹腔内を温生食で洗浄した後、リーク(漏れ)がないことを確認するため胆管空腸吻合部にガーゼを押し当てて、不意に「胆汁中には血小板はないからね」と独り言を申しました。こちらの心情を知ってか知らずか、すかさず松村先生から「はい」と同意の相槌が返って来ました。「胆汁中には血小板はないからね」、それは遠藤先生が手術中によく言われた言葉でありました。

合掌

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