中高年のうつ病とその予防中高年のうつ病とその予防

十束英志

はじめに

総合診療科でしばしば遭遇するのが「中高年のうつ病」であります。以前から、ある一定の頻度で経験して参りましたが、自ら命を絶つ芸能人が散見される様に、現代では増加の一途を辿っており、「コロナうつ」との言葉が示す通り、新型コロナウイルス感染症も、この病態の増加の原因を担っていると思われます。
孔子が言うところ、40歳にして「不惑(ふわく):心に迷いがなくなり」、50歳代は、「知命(ちめい):五十にして天命を知る」、自分の人生に於いて最も重要なものは何かを知る、自分はどのような役割をもってこの世に生を受けたのかを知る年代、そして60歳代は「耳順(じじゅん):六十にして耳順う(したがう)」、何を聞いても素直に受け入れることができる年代とされております。そんな、精神的な安定期に入る年代に、実はうつ病と言うかたちで心が不安定になる人が少なくないのが現実であります。
ここでは、中高年のうつ病に焦点を絞り、その原因論と予防法を考えてみます。なお、しっかりと診断がついた「うつ病」のみならず、「抑うつ状態」、「うつの予感」のような広義の精神状態を対象とし、精神医学的な観点からのより詳細なメカニズムや診断基準、薬物その他による治療法については他所に譲ります。

うつ病の概念・疫学

精神科の教科書の引用とネットで調べられるものから、うつ病についてごくごく浅い内容で概要・疫学をご紹介いたします。

うつ病の定義

うつ病とは「気分が落ち込む」、「気が滅入る」、「もの悲しい」と言った「抑うつ症状」が長期に継続するものと定義されます。不眠、頭痛、肩こりなどの身体症状を伴い、自殺念慮/自殺企図にも発展し、自殺率は15%にも及びます。

うつ病患者数の推移

うつ病患者数の推移

厚生労働省「患者調査」で発表されている、3年毎に記録したうつ病・躁うつ病の総患者数を図1に示します。1996年が40万人台であったのが、2008年に初めて100万人を超え、2017年には130万人に迫ろうかと言う勢いで増加しております。5年が経過した現在、2022年には150万人以上、四半世紀の間に約4倍にまで増加していると思われます。

うつ病の男女差

うつ病の男女差

年別の患者数からは、どの年においても女性の方が男性を上回っていることも特筆すべき点であります。年齢別の患者数を見ても(図2)、女性はどの年齢においても男性よりうつ病の患者数が多く、70歳代以上では二倍以上となっております。また、年齢別のうつ病患者数の分布は男女で若干の相違が見られます。男性は50歳代が最も多く、各年代ほぼ左右対象の正規分布を示しております。これに対して、女性も40歳代にピークを迎えますが、50歳代で減少するものの60歳代で再度の増加が見られ2つ目のピークがある、いわゆる二峰性となっております。

中高年のうつの原因論

うつ病は子供からご老人まで、幅広い年代に発症する病態ですが、その原因として遺伝性、脳の機能的要因や他の精神疾患との合併など、様々な要素が言われております。病前性格として「メランコリー親和型性格」が指摘されており、「几帳面、良心的、配慮できる」といった特徴がうつ病発症に関与しているとの考え方があります。ここでは、もっと一般的な発想で中高年期の特殊性に注目し、その原因論を考えます。

両親の病気や介護、死別など

40〜50歳代となるとその両親は70歳代から80歳代にも差し掛かります。悪性腫瘍、脳血管障害や循環器疾患に罹患して病院への通院や入院、手術などが必要となり、同時に老後の介護の問題が発生する場合があります。それまで、何も考える必要のなかった両親への対応が余儀無くされ、経済的、時間的な負担と責任が生まれます。子供の頃から心の中で頼りにしていた存在が、逆に頼られる存在に変わることで、いよいよそうした時期を迎えてしまったとの認識は、抑うつ気分を引き起こし得る心の負担へと繋がるでしょう。
同様に、両親との死別は必ず確実にやって来ます。多くの場合、親は自分を育ててくれ、自分に期待してくれた存在、最も身近の人生の先輩であり、常に自分を見つめてくれる存在であります。両親との死別は心にぽっかりと穴が空いたような「喪失感」を生み出すものであります。

身近な存在の喪失

親だけではありません。仕事や私生活において極めて親密な関係にあった人物との別離も抑うつ状態を引き起こす要因にはなります。若い頃の学生時代の友人とは卒業して別の道に進むことはよくあることですが、誰でもその直後に新しい出会いがあります。友人とはいずれは再会できます。中年期以降の別れは、同僚もしくは自分の転勤や退職、それぞれの都合でこれまで通りに会えなくなったり、思わぬ争いから疎遠になったりして発生します。もちろん死別や離婚も大きな別離であります。そして、この年代は新しい出会いに乏しいのは事実です。親と同様、親しい友人、家族や仕事上のパートナーとの別れは、やはり大きな喪失感の原因となります。

身体能力の低下

身体能力の低下は若い頃にできたことができなくなります。徹夜や長時間に何かに集中することができなくなり、スポーツにおいても仕事においても、スピード感やスタミナ、馬力が衰えて行きます。日常生活において、体力や活力、精力の低下は「歳をとった」、「衰えた」との発想を生みうつを引き起こす十分な要素となります。その上、高血圧、糖尿病などの成人病を発症するとますます抑うつ気分を引き起こす、中高年はそんな年代と言えます。

「燃え尽き症候群」など仕事に関連する事象

主に仕事に関わるものです。「燃え尽き」という言葉どおり、献身的に努力した人が、期待した結果が得られずに感じる徒労感または欲求不満から、心身ともに疲れ果てて、突然、無気力に陥ってしまう状態です。例えば、若い社員が自分より上の立場につき、それまで努力してきたことが無意味に感じられて、仕事への意欲を失ってしまうようなケースです。その他、うつを発症し得る仕事に関連する事象を列挙いたします。

  • 昇進後うつ:職場での昇進後に気持ちが萎える現象
  • 上昇停止症候群:もう出世はない、先が見えたとの発想から陥る虚しさ
  • リストラや異動:配置転換、出向に伴う精神的ストレスによるうつ状態
  • サンドイッチ症候群:中間管理職の上司と部下の板ばさみに伴うストレス
  • テクノ不安症:アナログ世代の中高年のデジタル環境に対する拒否反応

中高年のうつ病の予防

精神療法や薬物療法など、うつ病の治療法については他に譲ります。ここでは、中年期の、うつ病を発症する前の段階における予防法を考えます。日常に心がけることでうつ病に罹らない工夫です。例えば原因の除去ですが、上で箇条書きしたもので、除去あるいは軽減できるものと、そうではない、自分ではどうにもならないものはあります。身体能力の低下はある程度は軽減できますが、職場でのストレスから逃げてばかりと言うわけには行きません。いろんなことに対してあまりストレスを感じない思考パターンはあるでしょう。

「二分割思考」の解消

うつ病を引き起こす発想として、「100点でなければ0点」や「全か無か」のような「二分割思考」が言われています。「7、8割なら合格点」とする中間的な考え方を許さない完璧主義です。これを解消して、100%に及ばないところに落としどころを作る発想は肩の力を抜いて、気持ちに余裕が生まれます。日常生活において自分が「二分割思考」があるかどうかを常に見つめ直すことは有用です。

部屋を明るくする/外出して太陽光を浴びる

日照時間減少、薄暗い生活とうつ病の関連が言われています(国際医療福祉大学 和田 秀樹 教授)。うつ病には冬季に発症する「冬季うつ病」があり、また日照時間の短い北欧諸国ではうつ病罹患率は高い傾向にあります。さらには、日本よりも欧米諸国でうつ病の罹患率が高く、家の室内で間接照明による薄暗い状態が好まれることが原因として挙げられます。うつ病予防として、明るい部屋で過ごし、なるべく外出して太陽光を浴びる生活が勧められます。

アンチエイジング

身体能力の低下が中高年のうつ病の原因となり得ることを申し上げました。規則正しい生活、快眠を心がけ、暴飲暴食を避け、喫煙を止める、そうした健康に留意した生活は、必ずしもサプリメントに頼るばかりではないアンチエイジングを実現します。そうした行為そのものが気分を高揚させて十分にうつ病を予防できると考えられます。

考察

考察

「中高年」の心理を思うとき、よく脳裏に浮かぶのはアーネスト・ヘミングウェイの『老人と海』です。この小説は彼の最後の作品ですが、映画にもなりました。

キューバの漁村に住むスペンサー・トレーシー扮する漁夫サンチャゴは、深いしわのある老いた顔をしていても、目には希望と自信とが溢れていました。その彼が小舟に乗ってメキシコ湾に漕ぎ出したところ、それまで84日間のシケ続きで一匹の魚も釣れなかったのに、突然、舟より長いマカジキがかかりました。そして三日間にわたる死闘の末に巨大な魚にモリを打ち込んで、ようやくしとめたのです。彼は魚に向かって独り言のようにつぶやきます。「俺は、人間ってものがどんなことをやってのけられるかを解らせてやるんだ。人間が耐えていかねばならないものを教えてやるんだ」(福田 恒存 訳)と、これはまさに人間の尊厳とは何かを誇示しているのです。彼は巨大なマカジキを舟に縛りつけて港に向かいますが、血のにおいをかぎつけてやってきたサメの群れと再び壮絶な戦いをした後に、疲労困憊してやっと港に着き小屋に倒れ込んで寝入ります。
この老人に親しみを持っているのは近くに住むひとりの少年と沖の飛び魚たちだけです。「歳をとって一人でいるのは良くない。話し相手がいるというのはどんなに楽しいことか」、老人はそうつぶやきます。この映画では、老人の力強い気概と生きようとする決意をまざまざと見せつけられますが、一方で、老人の孤独に対する意識も垣間見られた言葉でありました。
ヘミングウェイは強く豪快に生き抜くことを信条として老人の生きる理想像を描いたのですが、この小説の発表を最後に、突然愛用の猟銃で自殺してしまいました。どのように強い意志を持っていても、人間は最後には、一人でいる寂しさに耐えられないのかも知れません。

コラムとして「中高年のうつ病」をとり上げ、その疫学と原因論、予防法について勉強、おまとめさせていただきました。誰でも陥る可能性があるこの病態について、そのメカニズムを理解することが予防の第一歩であると考えられました。もしも自分一人では抜け出せないと感じた際には、まずは身近の誰かに打ち明けること、あるいはカウンセリング、「悩み相談」、専門医に身を委ねることが勧められます。

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